PROJECT T-A-K ブログバージョン 「T-A-K かく語りき」 

おそらく何か語るものだと思われます

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2005-10-29 [ Sat ]
ノーマライゼーション【normalization】

《正常化の意》高齢者や障害者などを施設に隔離せず、健常者と一緒に助け合いながら暮らしていくのが正常な社会のあり方であるとする考え方。また、それに基づく社会福祉政策。ノーマリゼーション。

(引用…「YAHOO!辞書-大辞泉」より)

らしいな。

なんか以前

公共広告機構かなんかでCMをしてたのを

突然思い出して、思ったことをちょっと書いてみようかな、ってなった。

なんて内容の幅が広い!!このブログ!!



って、自画自賛している俺も俺だがな


ふらりと足を運んだ皆さん


「なんか今日つまんねー内容だな」

と思ってらっしゃるかもしれないが

まぁそんなことおっしゃらずに見てくれ!!


さて、ノーマライゼーションだが

このように辞書等から引いてみて文章を見ると

なんとなく美談的なね、印象がありますな


まぁでも、自ら解釈をしてみると
普通のことでしょうな

だって世の中いろいろな人がいるもん。その人たちは同じ地球に住んでるわけだから。

いいじゃん。障害者とか健常者のカテゴリーを抜きにして

永久的ではなく時間経過や場面場面等、

一時的なもので

立場関係が変わってしまう時あるじゃん

たとえば、ガキの頃

学校とかで算数とか分からなくて友達に教えてもらったことない?

そしたら、友達解き方教えてくれたりしたことない?

その時、いつもは友達として平等な関係性だけど

友達に問題の解き方を質問した時点で

立場の上下が生まれる

でも立場の上の人から助けてもらって

解決するわけだ。

日常、様々なところで

こんなのよくあると思うよ、本当にどこでも

困った時はお互い様でしょ?

まぁさ、辞書などにもあるように

障害者健常者なんていう言葉があると

つい気持ち的に構えちゃうよね。

こんな区分けが「字」として存在しちゃうので

頭にインパクトとして残っちゃうわな



でもね、結構簡単なところから

この概念は崩せると思うぜ


みんなに質問!!














あなたは本当に五体満足の健常者??




ちょっとムカッと来ましたか?




いやさ、俺が思うに

五体満足の健常者ってそんなにいねーぜ、多分

ちなみに俺は超近眼なのさ


ちなみに、実はプロフィール写真でかけてるあのサングラス、度つきなんですよー。

ある意味俺は視覚障害者ですよ


裸眼に見せて実はコンタクトって何人いるのさ?

世界中、かなりいると思うぜー。

運転免許証眼鏡等って記載されていたら

あなたもプチ障害者だとも思うな


「灯台下暗し」

意外に身近に存在して、当たり前すぎて気づかないものなんだよな 

でも、こういうことなんだよ

あまりに当たり前のように
様々な人とお互い助けたり助けてもらったりながら
生きていく

これがノーマライゼーションなんだわ、多分


さて、当たり前に障害を持った方とお互い助け合いながら生活をしていくには

偏見を取り除くということが出てくるわ

これがおそらく心のバリアフリーだと思われるのだが

例えば

精神障害者や知的障害者が事件を起こすと

マスコミが障害者とか大々的に報道してな

それを見た市民が

精神障害者や知的障害者は怖い

なーんていう偏見が生まれるわけだわ


あのさ、俺思うに事件を起こした容疑者の

大部分は健常者だと思うんですけど

きりがねーじゃん!「健常者でした」なんていうこといちいち報道してたら

あとな、精神障害者や知的障害者は怖いというけど

容疑者は「逮捕されたら精神鑑定を利用してうまくいけば

刑の軽減があるかも」

なんて考えている人もいるかもしれないぜ。

よっぽど健常者の容疑者のほうが怖いわ!!

……と思いますよ。



ちなみに俺は知り合いに精神にハンディキャップを持つ方と知り合いだったりするけど

怖いイメージないっすよー。

たまに、調子が悪くなったりして、不安が強くなっちゃったりってあるけど



俺たちだってあることだし

俺たちの感情よりちょっとふり幅が大きいだけじゃないかな

その時は助けあえばいいんだ

俺だってその人から助けてもらってるし

それでいいじゃん。


ノーマライゼーション心のバリアフリー

密接な関係だと思うぜ



さて、今日はまだまだ書くぜ

長げーだろ 


たまには書かせてください……
真面目なトーク、めったにないんで…
話を急展開させますから!!!





さて、心のバリアフリーだが

果たして
一般市民が障害者に抱く偏見だけなのか!? 




俺は違うと思うなー。

それだけじゃねーと思うな。

俺は少なくとも上記の件を含め4つの偏見があると見てる

ひとつづつ持論を展開させていこうか

①障害者に対する市民の偏見

これはさっき述べたとおりかな。特に精神障害者や知的障害者に対する市民の偏見はあると思うな。実は身近にも障害を持つ、自分も持っていたりする人いるしね。障害のマジョリティーとマイノリティーって出来ちゃってる現実もあるんだけどね。まずは偏見や誤解を取り除いて、認めあうことかな


②障害者自身が抱く偏見

意外?でもこれってあるんだと思うんだよ。障害者と見られたくない!人として見られたいんだ!って言いながら何か自分に不利なことがおきてしまうと「そこが俺の障害だから」とか平気で言うやつがいるんだよー。障害を持った方々の中には「自分を障害者と認め、社会サービスなどを利用しながら生きていくことを決めた」人だっている。地域に皆さんに障害者としての人生等を語って、「講師」として生きる人もいたりするよな。また、「障害者ということを隠して、健常者と同じ職場で働けるように努力していこう!」という人もいる。たださ、中には都合のいいところで障害者面するやつ。それは駄目だろうー。そんな姿を見たら「ま、障害者だからね。」って市民は呆れちゃうんじゃねーかな?そういう考えは捨ててほしいね。頑張っている障害を持った方に失礼だ。

③障害者を持つ親が抱く偏見

やはりね、親としての気持ちは分かりますよ。子供が受けた同級生や同級生の家族、地域住民らによる偏見や差別…。子供を地域に出すはかわいそう。私たちが育てないとってなってる親、多いんじゃないかな?気持ちはすごく分かる。また、子供と同時に家族全体も苦労を味わった。大変な痛みや苦労を味わっただろうな。でもさ、親はさ、「かわいそう」っていう慢性的な感情によって過保護になって、自立を阻害してることありませんかね?親は子供より先に亡くなってしまう。将来は一人で子供は生きていく。ノーマライゼーションは、お互いが支えあいながらも、自分で生きていく力も必要なわけだ。この生活力を身につけてもらうような心がけが必要だと思うぜ。「かわいい子には旅をさせてください」
親が意図的に子供を引きこもらせたりして、過保護にしたら取り返しがつかなくなるかもしれないよ。

 ④専門家が抱く障害者に対する偏見

医師、看護師とか施設で働く職員、ホームヘルパー…etcこういう人たちってさ、率先して心のバリアフリーとかノーマライゼーション
とか言ってる人たちじゃないですか。でも思うわけ。あんたら、学校の授業や研修、本などで覚えた理論でそれらを言ってるだけであって、実感してないでしょ?って思う(あえて断言)。障害者の知識とかさ、そういうの勉強するじゃん。それはそれで絶対に必要な知識。だが、その勉強がかえって「障害者も人」という概念から「障害者」という意識になってきて、「障害者に対する関わり」で障害を持った方と接する、ってことが考えられるわけ。そいで、実は専門家自身も、俺が最初のほうで言ったようにド近眼だったりすること忘れてたりな。 
あとさ、専門家は障害を持った方に対して変な心配から、保護的な指導、助言とかしてしまったりするんじゃない?気持ちは分かるけどその人の人生だろ良かれと思ったアドバイスが障害を持った方々にとっては「余計なお世話」だったりすることあると思うな。自分達だってさ、友達や先輩に相談を乗ってもらって、アドバイスもらっても「そんなん、自分で決めるわ、ほっとけ」ってことあると思うよ。専門家ゆえに、ノーマライーゼーションとか言っておきながら、自分も「人」だって事に気づかず、同じ「人」である障害を持った方に「おせっかいな保護的関わり」をしてしまう。 専門家が見たら痛すぎか?(笑)でも、多分これは現実だ。それに一番除去されにくい偏見だろう。なんせ専門性があるから。俺は思うな、「脱専門性」だって必要なんだよ。「人との関わり」なんだからよ



と、長々と書いたが(かなり読みにくいよね、ごめん)

これ、俺の正直な考えだな。

全ての立場で偏見を取り除くことが必要だな

全ての人たちに痛みが伴う


でもこうしないとノーマライゼーションや

心のバリアフリーは達成できないな、多分


なんとなく、そう思ったんで、書いてみましたよ(笑)
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コメント

はじめまして

くにちゃんの大親友(?)で、たまに支離滅裂な書き込みをしている”まっきー”という者です。
ブログを読ませて頂いて。とても感銘を受けました。障害者と健常者の関係をここまでズバッっと言っちゃうなんて凄いと思いました。
実のところ僕は車椅子に乗って言語障害もある絵の得意な身体障害者で、周りの人にかなり助けてもらってる部分があって、感謝の毎日です。
世の中、いろんな人がいて障害者を偏見の目で見る人もいます。でも、いちいちそんなの気にしてたら生きていけないんだよね。
障害もその人の個性だと思います。だから、自分に自信を持って生きています。

まっきーへ

まっきーへ(プログでの私のキャラクター上、HNを呼び捨てにさせていただいております。大変恐縮いたしますがご了承ください)

コメントありがとう!うれしいです!!いやー、なんかね、最近思うんです。「健常者」「障害者」とか言う前に「人間」だろってね。世の中十人十色。そりゃー完全五体満足の健常者もいるかもしれんが、ハンディキャップを持つ人もいる。そういう人たちが一緒に生活してるのが普通だろってね。さらにハンディキャップを持つ人は助けられるだけじゃない。健常者といわれる方々を助けてることだってあるはずなんです。
そしたら50/50じゃん、っていう簡単な考えなのかもしれないなぁ。俺さ、高校の時のあだ名が「のびた君」とか「古田(ヤクルトの)」とかだったんだよ。近眼が個性だったんだよ。それでいいジャンって思うね。ある意味弱みを強みに変えられたんだよねー。なんていうんだろう、「発想の転換」って必要だと思うな。それを知り、悟って、身につけた時、人はとても懐が深くなると思う。……なーんて思ってるのは俺だけかな(笑)?

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